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それだけ自分が大きくなってきたということなのか、ただ単に年齢的に若いから話しやすいのか。理由は何であれ、どれだけ歳を重ねてもおごり高ぶらずにそのままの自分を素直にぶつけてくる大人って素敵だなと思う。
高校時代に初めてバイトした居酒屋の店長とは今でも交流があり、時々会ってはお互いの近況報告、励まし合ったり時に喝を入れたり。交換留学の際にお世話になった国際センターのスタッフさんも、激務をこなしながらもこんな私の話に耳を傾けてくれたりする一方で熱い夢を語ってくれたり。全てを完璧にこなしているように見えた母からたくさんの失敗エピソードを聞いたり。たまたま街で再会した高校時代の超嫌いな先生とお茶をして、先生のどーでもいい人生論を聞いたり。前の職場の社長もクセが強くて相当交流が大変だったけど、超多忙にもかかわらず毎日一対一で話す時間を一時間以上も設けて、「人間力とは・・・」「今のお前に必要なものとは・・・」とか、手書きのメモをくれたり。
こんなへなちょこな経験の少ない私に、みんなは一生懸命話をしてくれる。
それは「いい」「悪い」含め、「弱み」「強み」含め、道理を説いてくれてるようにも見える。
でも、こうやって自分の弱いところもちゃんと人に話せるひとたちは
きっと一生懸命生きてる人なんじゃないかと思う。
まぁもちろん説教じみた話もなきにしもあらずだけど、でも「あぁ、何かを一生懸命伝えてくれようとしてる・・・この人」っていうのは強く感じるわけ。
よくわからないけど、色んな人がなぜか色んな話を一生懸命してくれる。ときに厳しくときに優しく。
(まぁ若干変な人を引き寄せてしまったりするので、珍エピソードも聞いたりとか)
いろんな意味でそういう一生懸命なエネルギーを頂けるってのは
ありがたい話。
私も人の心が動かせるような人になって、「大人」と呼ばせない大人になりたいと思う。
ありのままを語って、そこから何かを感じ取ってもらえるように・・・。
年齢に縛られるような生き方だけはしたくないと常々思うのでありました。
ちゃんちゃん。
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